今日、渋谷の三省堂へ寄ったとき、
レジ横に張ってあるポスターに目が止まりました。
大きく「心眼」の二文字。
それは、全国盲人写真展のポスター、
つまり、全く視力を持たない方々の写真展のお知らせでした。
いったいどうやって?と少し調べてみたら、
写真展が開催されている滋賀県の滋賀新聞のHPにこんな説明が。
『盲人写真家はハンディを情熱で克服し、
視覚以外の感覚を研ぎ澄ます。
人の足音、話し声、息づかいをなどの物音によって
被写体の方向や距離を読み、指で触れ
て物の形を確認。
肌で感じる陽射しの温かさから太陽の位置を判断し、
盲導犬の反応や、家族、仲間の助言で、
シャッターチャンスを狙う。』
すごい!の一言です。何より撮ろうという情熱が。
そういえば、何年か前に沢木耕太郎さんのエッセイで、
こんなエピソードを読んだ事があります。
写真家がフィルムに焼き付けて、
伝えるべきものは2つ。
ひとつは、誰も目にした事がないもの。
もう一つは、目には見えないもの。
全盲の方々はレンズの先にあるものを
想像力の中でしか認識する事はないのだと思いますが、
そうして撮られた写真はおそらく、
純粋な想像力だけをベースに撮影されたという意味で、
多くの人たちに撮って「誰も目にした事がないもの」であり、
全盲の方々が狙いを定めた文字通り「目には見えないもの」でもあるはず。
もし都内で開催されることがあったら、見に行きたいなぁ。
最後に、おもしろい矛盾をひとつ。
写真家はあらゆる技術と時間をかけて
狙いを定めた、あるいはいつ訪れるか知れない、
100分の1秒以下の一瞬を狙う職業。
しかし、そうして莫大な労力をかけた後でやってくる
二度と訪れる事のない撮影の瞬間、
視界は「カシャン」と切られたシャッターに遮られて
真っ暗になってしまうのです。
閉店ガラガラ。
つまり、そこには写真家は求め続けた撮影の瞬間を
結局その目で見る事はできないという矛盾があります。
その一瞬、写真家はある意味で全盲の方々と同様に、
100%イマジネーションの世界に生きているのかもしれません。
やっぱり新しいカメラ欲しいですね。
今日は少しロマンチックなエピソードをおおくりしましたー。
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