記憶があいまいで、はっきりとしたことが言えないのだけれど、
確か田辺聖子さん著の「ひねくれ一茶」だと思う。
信濃の国、時に数メートルの雪が積もる季節。
一茶が生きた時代、その村の人々にとって、
冬の訪れは、土との別れを意味したと言います。
だって冬に歩くのはいつも雪か氷の上。
そこに春が到来。
すると、気温はまだ低いというのに、
皆こぞって嬉しそうに靴を脱いで外を歩くのだそうです。
数メートルの雪と氷は溶け出して、約半年ぶりに姿を見せる大地。
その感触を自分の素足で感じるために。
足の裏で感じる土のやわらかさ、温かさ。
それこそ春の訪れとイコールだったんですね。
かなり風流。
霜柱さえ見なくなった昨今では、何だかうらやましい気もします。
さて、僕が春を感じたのは、野暮きわまりないですが、
コイツを履かなくなってることに気づいたとき。
冬場は周りの男どもの着用率ほぼ100%のパッチに
手が伸びなくなると「春」だなと。
パッチ脱ぎ
何だか軽いぜ
下半身
うーん、駄作。
ちなみに最初に挙げた「ひねくれ一茶」は超名作です。
例えば、「我ときて 遊べや 親のない雀」が、
一茶が芭蕉のようにうまく人と付き合えない自分の孤独をうたい、
「やれ打つな、ハエが手を擦る 足を擦る」が、
生まれた実の子が次々にすぐ亡くなってしまう絶望の中で、
命を思う気持ちを、うたった歌だと知る事ができます。
世界一短い詩。俳句に、恋に生きた不器用だけれど美しい男のお話。
長いお話ですが、是非
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