僕が初めて意識的にのめりこんだノンフィクション作家、
沢木耕太郎さんの短文の中に、
ある偉大なジャーナリストを父に持つ、
一人の作家のエッセイ集に対する評論があります。
そこで語られていたのは、「鮮度」。
作家のエッセイ集には、鮮やかに切り取られた「今」が
これでもかと描かれています。
時代の空気、風俗、嗜好、不安。
しかし、それぞれの内容物は
鮮やかに切り取られているからこそ、
数年という短い時を経ただけで、
見事というほどに力を失っていました。
この事柄に対して沢木耕太郎さんが挙げた例は
篠山紀信さんが10年間手がけたあるアイドル雑誌の表紙です。
篠山さんは週刊誌の表紙撮影を担当するにあたって考えました。
書店に並ぶ笑顔は次の発売日には次の笑顔に切り替わります。
そのとき、前号の笑顔が次号の笑顔に勝ってはいけません。
もちろんその逆も。
とはいえ、それぞれの笑顔には万人の心を打つ魅力が必要です。
そこで彼は一つのテーマを決めました。
「1週間だけの賞味期限を持つ、誰よりも魅力的な笑顔を撮る」
というテーマ。
笑顔の裏にアイドルたちの努力や孤独や疲弊を潜ませる事なく、
ひたすらに光の部分だけにピントを合わせる。
1週間は時代を象徴する輝きを持たせ、
1週間後には「どこかの誰かが笑っている」という無個性の笑顔を撮る。
このテーマは10年間守られ続けました。
この徹底的な鮮度優先主義に成功した篠山紀信に対して、
作家は大きなミスを犯していました。
それは制作物が「本」になることを許してしまったことです。
時代を超えて販売される本という媒体に掲載される事で、
彼のエッセイは力を失った醜い姿をさらすことになってしまいました。
しかし、徹底的な不評を浴びた本の中で唯一、
今も鮮度を失っていない部分が一説のエッセイがありました。
それは、父への呪詛の言葉を書き綴った文章。
偉大なジャーナリストであったけれど
全く家をかえりみず、父性を持たなかった一人の男を恨み、
強い調子で批判の言葉が並べられた一説だけが、
みずみずしい鮮度を保っていたのです。
政治に対する独自のジャーナリズムを展開した事で
高い評価を得た父。そのバックアップを裏切る形で、
「生活」に目を向けエッセイストになった彼の作品は、
皮肉にも恨み続けた父との関係性を描いた部分のみ、
本としての鮮度と評価を保つ事が出来たのです。
〈続く〉
最近のコメント