前にも話をしたかもしれないけれど、
こうして手紙を書くことが苦にならないことは、
文章を生業にしたことの数少ないメリット。
この手紙の終わりがどんな風に締めくくられるのか、
自分でも全然予想がつかないけれど、
とにかく書き始めてみようと思います。
ハジマリハジマリ。拍手パチパチ。
あなたから「どうしてあんなに」と質問を受けて、
「それがずっと探していたものだからかもしれない」と答えたけれど、
ウトウトとしながら電車に揺られていたら、思い出したことがありました。
何年か前に読んだ本。
そのエピソードに書かれていた、たった1つの文章について。
長い長い手紙のはじまりは、そんなお話です。
そう、僕らはそれぞれにドラえもんの4次元ポケット顔負けの、
無限に広くて、底抜けに深い心模様を胸に秘めているからさ。
僕のポケットが誰かのポケットとつながっていたとしても、
その中に手を突っ込んで、上の下もない真っ暗な空間で
相手の手を握ることはやっぱり奇跡に近くって。
だから誰かと気持ちを通い合わせることは本当に難しくって、
もしかしたら、通い合ったと感じたことさえも勝手な思い込みかもしれなくて。
でもね、そうでないものやっぱりあると思えるのです。
いくつかの偶然の力を借りて。
時には悪魔まで現れちゃうような眠れぬ夜を乗り越えて。
誰かのためにではなく。
自分のためにでもなく。
その2つが何とかかんとか一緒になって、
はじめて出会うことのできる気持ち。
自分が幸せになることが、誰かを幸せにすると信じられること。
自分の曇った視界が、誰かの視界を曇らせるなら、
目の前の闇を切り裂く強い心と体を持ちたいと思えること。
僕のヘンテコな頭のフィルターを通して
言葉にするとわかりにくいけれど。
おいしいお店をみつけたときに、
そこに誰かの笑顔を思い出すみたいにさ。
そこが幸せな場所だって、それがどんなにおいしい料理だって
そこに一人でいたら、あんまり楽しくないってこと。
何かをわかちあうってことは、
こんなに大きな安心を運んでくれるということってこと。
自分から手を伸ばしたから見つけられたんじゃない。
誰かが手を伸ばしたから見つけられたのでもない。
二人が一緒に手を伸ばしたから触れられた暖かさ。
きっと一番大切なものは、いつも二人の間にあると。
さて、陽だまりの電車の中で思い出したのは、
とある古着屋の看板娘に貸して、まだ1ページも読まれていない、
僕が一番好きな小説の中の1つ。
石田衣良著の「池袋ウエストゲートパーク」。
おんなじ気持ちを持った二人がくっついた瞬間を、
こんなに簡単に、こんなに美しく書いた文章を僕は他に知りません。
主人公マコトと加奈の距離が
ゼロになった一瞬を書いた1つの文章。
『キスは二人の真ん中でした。』
「どうしてあんなに」って質問の答えは、
もしかしたらこれかも。
今日も一日ご苦労様でした。おつかれさまね。
ゆっくりゆっくり休んで下さい。
1枚目の手紙はこのあたりでおしまい。
また明日、このフロアで待っています。
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