3ヶ月ほど前の話を。 もう時間は22時をまわっていて、 しばらくボンヤリとベンチに座っていると、 その彼が電灯が照らす 遅れて公園に入ってきたスーツ姿の5人の男が、 あっけにとられているうちに、 くぐもった低い会話で聞き取れた声は多くはありません。 暗闇に薄く見える見張りの男の目は、 混乱する頭の中に浮かんだ答えは、 会社に戻って、同僚にその話をしました。 しかし、同僚が暗い目をして言いました。 「この辺りにはヤクザの事務所がある。 僕は、誰かが逮捕される瞬間ではなく、 |
久しぶりに、五反田駅前の
「和牛一頭流 じゅう兵衛」へ行ってきました。
ユッケをつまんだ後、
美味しいお肉を頂きました。
やっぱりこの店おすすめです。
ちなみに、こちらも五反田。
ランチに行って調査してきます。
ちょっとスゴそう。
姉ちゃん、今度皆で行きましょうね
ついに手元に届きました、GX100。
あいにくの雨なので、今日は持って出かけるかどうか微妙ですが、
やっぱりおもしろいですね、このカメラ。
なんでかんだで、写真の出来は
やっぱり撮る人の技術と感性なんだとは思いますが、
素敵な写真をアップ出来る様にがんばります。
ちなみに、ファーストショットはウチのパキラ。
今日も新しい芽が育っています。
このカメラならではの立体感出てますかね?
励ましの言葉、伝えておきました。
新しい環境で働くことは大きなストレスでもありますが、
その先にはとても大きな達成感が待っている可能性大です。
せわしない毎日が続きそうですが、
何とか乗り切ってほしいと願っています。
少し話を変えますね。
ここ数十時間でNさんに起きたことを、
僕は自分に重ねて考えていました。
自分から何かを発信すること。
言ってしまえば全てのコミュニケーションは
そこから始まるのかもしれませんが、
やっぱりブログという媒体を使うことは、
とても難しい作業ですね。
僕は数日前に近しい人にある意見をぶつけて、
最終的には、どうかわからないけれど、
現状では間違いなく、その人にダメージを与えてしまいました。
これが正しい決断だったのかは、今でもわからないけれど、
少なくとも放ってしまった言葉に責任を持とうと思ってはいます。
そこには間違いなく、伝えたり、伝えられたりの先にある、
今よりもっと素敵な関係を創ろうという意思がありましたから。
たくさんの人たちとすれ違って行く中で、
熱くならずとも人とつながる術は身に付いて行きますが、
それだけではたどり着けないはずだった人たちとの出会いの大切さを、
もっとヒリヒリと感じていたいから。
Nさんが放った何百バイトかの文字たちは、
誰かを傷つけてしまったかもしれませんが、
あなたがその人を知っていて、
その人があなたを知っているなら、
きっと晴れやかな結果が生まれると信じます。
なぜって、僕はNさんの笑顔と優しさを信じてるから。
あなたが言う、先日の南麻布での
「素敵な人が創り出した素敵な空間」の一端は、
間違いなく、あなたがいてくれたから生まれたものでした。
また、美味しいお酒を飲みましょう。
こんどこそは、グースカ寝ずに朝までお付き合いします。
それでは、また。
10年以上前、地下鉄の吊り革につかまりながら、
理系の友人から聞いた話。
簡単には理解できる訳もないのに、
無理矢理に説明させた、核爆発の原理。
全ての物質を構成している原子。
まぁ、この世にある物質の一番小さい形で、
それよりも細かくは分割することはできないのだから、
当たり前だけれど、それはとてもとても安定しているものらしい。
だから、その中心にある原子核を人工的に壊すと、
一気に、馬鹿げたくらいに不安定な状態が作られる。
極度な安定から、極度な不安定へ。
そこには怖いくらいのエネルギーの移動が起きる。
そのエネルギーが周りの連鎖して、核爆発は起こされる。
で、何の話かというと、
安定と不安定の間にあるエネルギーの話です。
例えば、それがファッションの世界なら、
さらにメンズに限っての話なら、
洋服が持つ呼び名って限られていると思うのです。
ジャケットとか、パンツとか、シャツとか、ブルゾンとか。
しかも、バイオリンみたいに、何百年も前からいじりようがないくらい
形が完成している訳でなくても、たぶんそれぞれに完成された形
ってものはもうあるように思うのです。
つまりは、服ってある程度安定していると考えてみます。
それなら、洋服の作り手は
何を目指しているんだろうとも考えてみます。
で、一つの答えがもしかしたら「不安定」なのではないかと。
それも大きなエネルギーを持つ不安定。
水や気圧は、高低差を作ることで、
どこかの街で雨が降ったり、
そのエネルギーは水が海に流れ込んだりするまで、
圧倒的なエネルギーを帯びて動き出します。
それと同じことが洋服にも言えないものだろうか、と
ふと思いました。
誰かがまとうことを計算に入れて、
美しい不安定さが生み出されることはきっとある。
どこまでも安定した美しさは、
きっとオーダーメイドでしか作れなくって、
それは誰もが手に入れられる訳じゃありません。
規定の概念を外れて、
新しい素材を取り入れたり、
縫製を途中で止めてみたり、
シルエットに歪みを入れてみたり。
それは安定を壊す行為だけれど、
それを人が着て生まれる不安定が、
オーダーメイドの美しさに負けないくらいの
誰かの目を奪う魅力になることもあるのかも。
人の数だけあるアンバランンス・バランス。
だから、きっとファッションは面白い。
そうそう、fevの展示会がもうすぐ。
新展開、ありますかね?楽しみです。
天才写真家が撮った期間限定の男女の笑顔。
ある作家が父への怒りと悲しみを綴った一節のエッセイ。
それぞれのエピソードは、
自分自身の経験と重なって、小さな啓示に変化しました。
尊敬する作家たちが生み出す色とりどりの文章。
文章を書き始めた頃、自分も彼らと同じように
書きたいともがいていました。
彼らの作品が持つ、「らしさ」はどこにあるのか。
リズム、展開、言い回し。
その中に答えを見つけては、文章を書きました。
一番書く事が楽しかった時期かもしれません。
けれど、HDDのフォルダを開いて、
ファイル名からは内容を思い出せないまま
その時期に書いた文章を読み返してみれば、
作品たちは高い完成度でありながら、
驚くほどつまらないのです。
ただ美しいだけの、センテンスの連なり。
どれも読み終えたあとに、
何一つ感想も感傷もカタルシスも残さない。
そんな中で、たった一つ例外を見つけました。
テクニックもなく、推進力を起こす展開もなく、
目新しい言い回しもないけれど、
過去の僕が今の僕の心を揺らした言葉たち。
作った何かではなく、確かに創ったしるしが見える文章は、
一人の友人に向けた感謝の手紙でした。
何度か読み返しているうちに
この手紙が、その他の文章に勝っている部分を見つけました。
それは、完全に個人的な想いで文章が成り立っていること。
そして、想いの行き先がはっきりしていること。
つまりは、たった一人しかいない僕の感情が、
たった一人の相手に向けて放たれているという点。
圧倒的な才能を持つ写真家が、
美しい旬の男女を撮ったとしても、
そこに映るものが、純粋に笑顔だけであれば、
誰かの心を動かす力を持ち続けるのは、わずか一週間。
けれど、作家が父に向けた文章に激しい怒りを込めた様に、
僕が大切な人に向けた文章にありったけの感謝を込めた様に、
どこかで生まれた100%オリジナルの想いが、
100%の不透明度でイメージされた誰かに向かうなら、
それはいつまでも色あせず、
不特定多数の人々の心を打ち抜くエネルギーを持ち続けます。
「創られたものにあって、作られたものにないもの」
そんな問いをぶつけられたら、きっと僕の答えはこうです。
プラスマイナス関係なく、
圧倒的に個人的な意思で全てが満たされていて、
全てのパーツが明確な目標に向かって存在していること。
だからいつだって思うのです。
この文章に載せたい想いは何か、
その想いを伝えたいのは誰か。
創り手たちが、持ちうる知識と経験と時間をかけて生み出した
オリジナリティという極限。
もしも、それらが唯一無二という矛盾を超えて、
一つの川の流れに注ぐのなら、
いつかその川が全ての人の心を震わせる場所に合流するなら。
だから、オリジナリティが共通点を持つのなら、
そこにあるのは、誰かの笑顔が見たくて手紙を贈るような、
強く単純な始まりと終わりを持つ想いだけなのかもしれません。
パソコンの前に座る事に疲れると
いつも数分間サボタージュをする小さな公園。
敷地は大きく三つに分かれています。
一つはオブジェから水が流れる噴水と
それを囲むベンチの一帯。
お昼時には周辺のビジネスマンが昼食をとります。
二つ目は鉄棒とブランコが備わっている広場。
麻布という場所柄か、様々な言葉を話す子供たちが
駆け回るインターナショナルなプレイグラウンド。
そして、三つ目がお稲荷様を祀る神社。
朱の鳥居と立派な桜の木が守る神聖なエリア。
散歩がてらにお参りをする人がちらほらと。
この公園は個人的な尺度で見てみると、
かなり賑わいがあるように思えて、
人気の理由はどこにあるのだろうと、
考えるともなく考えていました。
そして1年間ほど通ってみて、
この公園が持つバランスの良い雰囲気の中心にあるのは、
鳥居の傍らにある手水舎なのだと感じる様になりました。
いつも清潔なお水で満たされていて、
訪れた人々が手を清める手水舎。
春は桜の花びらが、秋は落ち葉が
水の中にきらめく美しい石の器です。
では、それを管理しているのは誰なのか。
答えは一人のホームレス。
午前11時までと、午後3時以降公園のベンチに横たわり、
訪れる人から嫌悪を視線を浴びる、
このスペースで唯一浮いている
汚れた衣服をまとった一人の男性です。
彼は毎朝大きなビニール袋で公園の蛇口から水を汲み、
手水舎の水を交換しているのです。
何となく「主」という言葉が浮かびました。
公園の核を管理しているという意味で、
この公園の主はそのホームレス。
そこからさらに思考を飛躍させてみました。
このホームレスが僕にしか見えていなくて、
実は彼が主ではなく、土地神だったらどうしよう、と。
こんな風に見えているけれど、
実は神社に祀られたお狐様の化身だったら。
で、話しかけてみました。
「どうして毎日お水の交換を?」
答えはこうです。
「なぜって、喉が渇くから。
さいきんは自分でできることは自分でやってる。
誰かにお参りされてるだけじゃ、最近は喉も潤わない。」
汚れた服の神様はぼやいたのでした。
と、ここで思考の暴走終わり。
主人公とお狐ホームレスのお話、
物語の設定としては悪くないかも。
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